村上春樹『一人称単数』

 村上春樹は小説家としてすごく腕が良いからシンプルな素材で勝負できる。いずれも小説の大筋は凡庸なものたちで、それこそ知人が雑談中に昔あった不思議な話として語り始めてもそんなにおかしくないように一瞬思わせるぐらいの内容を狙っている。しかしいずれの作品もとびきり読みやすい文体や細かい工夫によって優れた小説になっていく。おそらくそれは意図的なことで、例えば作中の短歌や詩があまりに凡庸なこともそれと同様の仕掛けでしょう。ささやかで凡庸な不思議な出来事を優れた小説に仕立て上げることができる自分の文体の強靭さを村上春樹は知っている。詩や短歌と小説の決定的な違いを村上春樹は知っている。ただいずれの作品も僕はそんなに好きではない。小説として圧倒的にすごいということはわかる。けれど、僕とはそりが合わない。主人公の女性に対する姿勢なんて、読んでいて相当厳しい。そう思っていたら最後の作品「一人称単数」は作者をイメージさせる主人公が女性から「恥を知りなさい」と罵られる内容だったので、これを読んで本書の評価を変えました。

 本書は、作者をイメージさせる主人公の回想のようでありながら、ところどころからこれが現実に起こった話ではないと明示される作品たちが収録されています。つまり本書はタイトルとは逆に一冊を通じて「一人称複数」となるようなパラレルワールドのコレクションになっていると言えます。最終話の主人公は自分自身の「一人称複数」さを感じているがゆえに自分が「一人称単数」であることへの違和感を覚えていると読めます。そして主人公はたまたま入ったバーで女性から理不尽に「恥を知りなさい」と罵られる。ここで女性は何を罵ったのか。三年前の水辺で主人公はある女性にひどいことをした、知人としてそれについて罵っているのだと女性は述べる。しかし主人公はそれについて心当たりがない。これはつまり『一人称単数』中の他のエピソードのような起こり得たけれど現実には起こらなかった「一人称複数」を構成するパラレルワールドの主人公の女性に対する振る舞いについて罵っているのだと読めます。それは自分の作品中の女性に対する振る舞いを批判する読者という構図を容易にイメージさせます。このようにして現実には起こらなかったパラレルワールドの世界の出来事を背負い込まされる主人公は、一見すると「一人称複数」のようだけれど、しかしこの作品は「一人称単数」です。小説の中身と現実の作者は分けられなければならないにもかかわらず、しかしそれを小説家個人として背負い込まねばならない現実を示しています。作品を「一人称単数」として背負い込むところに村上春樹の小説家としての矜持があるでしょう。『一人称単数』は最後の「一人称単数」によって「腕のいい作品たちのコレクション」から「自分自身への批評性のある傑作」になっています。