村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』

 すごく読みやすい。文章があまりにも上手く、筋書きも明瞭。戦争が生んだ傷こそが自分の出生と家庭の淵源であるとを「猫」を象徴的に使いながら平明に記す。多岐にわたる重要な情報が無理なく整理されて短いエッセイに書き出されている、ここまで明瞭に文章を書ける人はそうそういないはずだ。村上春樹は平易な文章で記し、記憶が混濁してわからなくなって「謎」が残る場所をわかりやすく示す。本作冒頭の猫を捨てる話で「謎」と言う語が印象に残るように記されている部分は目を引く。「謎」と直接言い切ってしまう大胆な明瞭さには、読んでいて驚いてしまう。またところどころで記憶違いをのあったことを述べたり、繰り返し「わからない」とも述べたりもしていて、近現代小説の典型的技法である「信頼できない語りを手」をあからさまに匂わせることも忘れない。探偵が謎を解決すると近現代の探偵小説・推理小説となり、謎をそのままに残すと近現代の小説になる(基本的には。もちろん例外は多数ある)。本作はエッセイだけれど、村上春樹は典型的な謎を残す近現代の小説のスタイルで非常に平明に、わかるところはわかりやすく記し、わからないところについてははっきりと「記憶が混濁して」「わからない」「謎」などと書いている。あまりにあっけらかんとわかりやすく書かれすぎていて、困惑してしまう。
 内容についても、すべて「わかる話」となっている。戦争の傷から最後の「僕がこの個人的な文章においていちばん語りたかった」「ただひとつの当たり前の事実」という抽象的な総括まで、何の引っ掛かりもなくわかる。むしろ最初の猫を捨てる話と父が一度奈良のお寺に出された話のくだりなど、村上春樹本人も言っているようにあまりにもあからさまにわかりやすい。ここまでわかりやすいとむしろ読んでいて戸惑ってしまう
 もちろんこれは性格の悪い文学読みのひねくれた読み方。困惑したり戸惑ったりせずに、素直に戦争から今の時代まで続く痛みを伴う精神的風土を引き受けて、透徹した見通す眼と、どこまでもクリアに表現する文章を記す手で、村上春樹は作品を作ってきたということが開示されたエッセイであると素直に読めば良いはずだ。