2023年10月31日火曜日

 晴れの火曜日。朝からすることがいろいろある。えいえい働く。お昼ご飯にうどんを食べて、午後もあれこれ片付けていく。『シナモンと安田顕のゆるドキ☆クッキング』におけるシナモンと安田顕に倣って「テキパキぽーい」で行きたいのだが、人生そうもいかない。第4話で安田さんが言っていたように「気持ちテキパキめ」で働く。
 舟橋聖一『悉皆屋康吉』を借りることができた。読んでみたら妙にリズムがあってしまい、サラサラと一日で最後まで読んでしまった。悉皆屋という着物の染物屋の半生を描いた小説で、谷崎の『細雪』と並び称されたり、昭和文学史上の金字塔と評されたりしているらしい。商人でありながらも美しい着物を作る芸術家としての矜持を持つ主人公の半生を描き、戦時下に体制批判と消費社会批判を表現した珍しい作品で、歴史的意義が深い。とはいえ、今となってはいろいろと古い小説ではある。その「芸術家としての矜持」や「体制批判と消費社会批判」も歴史的意義を超えて今でも響くものがあるかというとなかなか難しいかもしれない。また描かれている女性観には厳しいものがある。ではなぜそんな小説を僕は読んでいるのか。その説明は難しい。「小説としての芸の細かさにつられて」という曖昧な言葉よりほかに思いつかない。「芸が細かい」というのは「華麗」や「凝った」と言ったものではない。むしろその逆で、すっきりとして無駄な力の一切入っていない正直な様である。この種の作品は戦時期戦後しばしば「いぶし銀」と呼ばれるタイプの小説家の作品に見られる。『悉皆屋康吉』は「いぶし銀」タイプの小説の一つの到達だろう。これを現代においてどのように説明することができるだろう。これを語る表現を発明したい。

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