2024年4月17日水曜日

 晴れの水曜日。

 母に『葬送のフリーレン』の漫画を貸している。母からは「エルフって何?ドワーフって何?」といった作中で常識とされている事項をたくさん聞かれる。おかげで現代ファンタジーは結構なハイコンテキストになっているのだと気付かされる。しかし僕もトールキンや子どものころに読んだ20世紀の児童文学ファンタジーは通過しているから多少わかるけれど、最近のゲーム系ファンタジーは触れていないから微妙にコンテキストがわかりきらないところがある。

 自分はほとんどラジオを聞かない。意識的に聞いたのは中高生のころにNHKのラジオ英語だけ。あとは数年に一回くらい甲子園の中継を聞いていることがある。昔はラジカセのチューナーをぐるぐる回しながら雑音の混じったラジオを聞いていたのだけれど、インターネット時代になって音はとてもよくなった。

 ちょうど映画館に近くで仕事が終わり、タイミングも良かったので今さらながら『君たちはどう生きるか』を観に行く。個人的には宮崎駿作品で一番わかりやすかったように思う。奔放な想像力で彩りつつ、全体的にあらゆるものを非常にクリアに表現していた。宮崎監督は表現したいことを曇りなく表現できる境地に達せられたのではないか。最初の階段のシーンから最後の場面までずっと最高だった。
 基本的にはクラッシックな児童文学のフォーマットに則っていたと思う。困難を抱える子どもと継母が古い建物の奥にある別の世界で母と出会い、冒険をして現世に戻り、それぞれの困難を乗り越える。宮崎駿の本領は児童のための作品であることを改めて示した作品だったのではないか。敵がペリカンとインコであるというのは、まさに児童文学的だ。10歳の子どもの頃に一度見て、大きくなってからもう一回見ることができたら幸せだろうなと思う。今、そしてこれからの子どもがうらやましい。王道の児童向け作品で、史上最もハイクオリティで、しかも大人になっても楽しめる。贅沢だ。
 以下雑感をバラバラと。
・炎の映画だったなと思う。戦争の炎が本作前半の課題だったのだけれど、炎をポジティブなものへと書き換えていくプロセスは見事で、この点は火の悪魔カルシファーと戦争の炎が対比されていた『ハウルの動く城』よりもわかりやすかったかもしれない(もちろん『ハウル』には『ハウル』の良さがある。『ハウル』は好きです)。炎のイメージの転換は終盤ではっきりとセリフでも語られていて本当にわかりやすくしているように思った。このはっきりと言明する演出も児童文学的だと思う。
・鳥のふんの映画だったなとも思う。彼らは鳥のふんで汚れる。それが良い。
・キムタクがハマリ役だったと思う。今のキムタクの最も正しい起用方法を見たような気がする。
滝沢カレンもハマリ役だったと思う。ピッタリだ。
・登場人物が最小に抑えられていた。宮崎監督は作中人物を本当に必要なものだけに切り詰めて、スッキリと、しかし奥行きの深いした物語に仕上げていた。名人芸だ。
・建物を描きたかったのだなと思った。日本の伝統的な家屋から洋館、塔の世界の不思議な建物まで、どれもとても面白かった。
・一つだけ何か欠点を上げるなら、もう少し尺があってもよかったように思う。別の世界に行ってからの部分はもう少し長くあってもよかったような気がする。しかし児童が見ることを考えるとこれでいいのかもしれない。
宮崎駿監督の次回作に期待したいと思う。またすごいものが来るのではないかと予感した。

 ほっといてほしがっている人に連絡をして怒られる。すまぬ。
 愛媛と高知で地震があったらしい。心配。