2023年3月10日金曜日

 晴れの金曜日。暖かい。今日はもう春だからカーディガンはいらない。とりあえず羊文学「永遠のブルー」を流しながらメールを書く。羊文学はいつも羊文学である。
 「羊文学はいつも羊文学である」という文は字義どおりに取るならばあまりに当然で、慣習に従ってそニュアンスをくみ取るにしても、発話者の意図を確定しきることが難しいあいまいさが残る。もちろん私のこの一文はレトリックで、ここにいくつもの意味を埋め込んでいる。私の「羊文学はいつも羊文学である」という発言は羊文学に対して肯定的であり否定的である。羊文学の作品はそこそこ好き。そこそこ好きなものはほどほどの距離から分析してしまうから、肯定と否定をどちらも練りこんだあいまいな言葉が出てくる。
 レトリックによって複雑な立場を表現していくべきタイミングと、細かいニュアンスは捨象してざっくりとポジティブかネガティブかだけを表現して打って出るタイミングを瞬時に判断できる人が強いのだ。

「ミルクティーは簡単ですよ、鍋に…」
「いやまず鍋を出すのが面倒」
「あーじゃあ仕方ないですね。僕は家にポットもケトルもないから鍋に抵抗はなかったんですけど」
「それは逆に珍しい」
という先日の会話を思い出しながら鍋でミルクティーを煮出すようになった。

 乗代雄介『十七八より』才気ほとばしる作者によるとても饒舌にひねくれものたちのハードな日常が回想的に描かれた小説好きによる小説好きのための作品。小説好きの皆さんのために「玄人好み」をてんこ盛りにした作品とも言い換えられる。ただそれが上手くいっているかというと、もう少しほしいかなと思う。題材は少し手あかがついているきらいがあるし、やっぱり構成が緩くて、内容に比して少し長すぎるでしょう。でも饒舌な文体と個々のシーンのインパクトは圧巻で、特に家族の会話と叔母との会話が最高に面白い。これはこれで良いと言えるところまでしっかり押しきっている。後に書かれた「本物の読書家」は構成が上手くなっているので、こちらの方が小説としてずっと上手い。でもそれによって『十七八より』に見られた文体への依存は薄まっている(もちろん関西弁の饒舌な男と淡々とした語り手のコントラストから生み出される作品のリズムは素晴らしいけれど)。ゆえにこのデビュー作にある冗長さとひねくれた言葉の横溢には小説の「上手さ」とは別の読書の楽しさがあると言うことができるはずだ。良い小説です。
 飛浩隆『グラン・ヴァカンス』を途中まで読んだ人の話を聞いて、そのモチベーションなら『ラギッド・ガール』までさっさと読むべきであると説く。『グラン・ヴァカンス』と『ラギッド・ガール』を読んだ後は空木春宵「地獄を縫い取る」を読んでみるのがおすすめ。『ラギッド・ガール』がSF業界に与えたインパクトとそこからの新しい展開が見えるはずです。
 今日は腰痛になっている。いつも通り腰の右側が痛い。寝転がって腰の右側と左側を押さえてみると明らかに右側の方が筋肉が張って固くなっている。痛いということは、筋肉が張っているということ。わかりやすい。