10年前の高野山の思い出

 研修旅行運営業務のために高野山へ行く。約10年ぶり3回目の高野山行きである。

 前の時は海外からのゲストを引き連れて行った。ガイドさんがとても丁寧に説明してくれたのだけれど、それを日本史を知らない海外の人に英語で説明するのは大変な困難というか、そんなんできひんかった。ガイドの人がすごく丁寧に森蘭丸の弟のお墓が高野山にある理由を解説してくれて、すると横にいたアメリカからのゲストの人が「ガイドさんがそれだけ丁寧に話すってことは、大事なところなんだよね!」みたいな顔で僕のことを見るのだが、織田信長を知らない人にこれを英語で説明するって無理よ…無理くり何かたどたどしい英語で説明をしたら「OK」とのお返事だった。絶対OKやないやんか…

 10年前は一人でフラフラとどこかに行くブラジルからのゲストの人がいて、探しに行ったらお守り売り場で見つかった。海外の人に話しかけられたお守り売り場のお坊さんがすごい勢いで紙辞書をめくってはった。お坊さんは「この人なんて言ってはんの!」とえらい剣幕で聞かれた。ゲストの人は要するに何を売っているのか知りたかったそうなので、お守りであると説明した。ゲストの人は交通安全か何かのお守りを買いはったような気がする。ブラジル人のゲストの人からはお礼にとのことでリオのコルバードのキリスト像の木彫りのストラップをもらった。お寺を案内したらキリスト像をもらったわけで、何か宗教的対抗心を煽ってしまったのかもしれない。あのキリスト像のストラップも、長いこと院生室のホワイトボードに吊るしていたけれど、どうしただろう。
 そんな紙辞書すごい勢いでめくっても何を言うてはるかなんてわからんよというに尽きるのだけれど、そんだけ慌てはったんやろな。高野山というと、あの時のすごい勢いで辞書をめくるお坊さんが思い出される。