2024年2月5日月曜日

 冷たい雨の月曜日。身体に悪い寒さ。

 時々10円20円単位のお金を気にしそうになるのだけれど、そんなものを気にしてあれこれする労力の方が無駄なはずなのだ。人文学系の研究者の道を選んで大学院に進学した時点で数百万か、あるいはもっと大きな金額を損しているのだから、もはやあまり気にするものではないのではないかと思って無視するようにならないといけないのだと思ったりする(たぶん。ちゃんと企業に就職して順調に勤務できていたと仮定した場合)。

 仕事で何年もメールでやり取りし、先日初めてオンラインでお話しした方がいらっしゃるとのことでご挨拶にうかがう。お世話になっている人たちが集まって楽しくお話しした。

 オンラインミーティングに呼ばれて出向く(出向くといってもオンラインだからどこに行くわけでもないけれど)。時間があまりないからとのことで、出席者紹介もなく、何か僕以外の人はすごい勢いでいろいろと話しているのだけれど、僕一人は部外者なので何の話をしているのかあんまりよくわからない。どうも定例ミーティングだから、僕以外の人はしっかりと前提を共有しているらしい。とりあえずいろいろとプロジェクトを計画していらっしゃることと、僕がプレゼンをすることはわかった。嵐のような時間だった。

 谷崎潤一郎の「蘆刈」が好きで、そこで述べられている「徳」なるもののことを考えることがある。

おばの言葉を借りますなら「お遊さんという人は徳な人だった」と申しますので自分の方からそうしてほしいというわけでもなくまた威張ったり他人をおしのけたりするのでもござりませぬが、まわりの者がかえっていたわるようにしましてその人にだけはいささかの苦労もさせまいとして、お姫さまのように大切にかしずいてそうっとしておく。自分たちが身代りになってもその人には浮世の波風をあてまいとする。おゆうさんは、親でも、きょうだいでも、友だちでも、自分のそばへ来る者をみんなそういう風にさせてしまう人柄だったのでござります。

この「徳」は周囲の人を自然と従属させ、自らを完全に保護させる力らしい。一般的な「徳」とはあまりにも異なる。中世のころには「徳」は「得」であり、富、富裕、財産という意味があり、「有徳人」とは主に成金のような低い身分からお金持ちになった人のことを指すらしい。この「徳」も蘆刈の「徳」とは異なるけれど、「徳」の持ち主である「お遊さん」が富裕な商家の娘や嫁であることは重要だろう。谷崎が描いた「徳な人」はみなにかしづかれ、周囲が没落するなかでも一人贅沢三昧をし続けるお金持ちの商家の娘である。貴族の「お姫さま」よりも「お姫さま」らしい娘を商家が生んでしまうことの因果について考えるのがいいのかもしれない。

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