ときどき小雨の水曜日。雨が上がってからは寒い。
あれこれ済ませた後は比較的心穏やかに書き物をしていたら一日が過ぎた。
文庫版でトールキンの『シルマリルの物語』を読み返している。はじめに置かれたトールキンのミルトン・ウォルドマン宛書簡が印象的な言葉のオンパレードで面白い。
ともあれ、わが拙作たるこれらの伝説群は、主として堕落と、有限の命、そして仕掛け(マシン)に関わっているのです。(38ページ)
こうして仕掛け(あるいは魔法)を使うことに なるのです。この最後のものによって私が意味するのは、生来の内なる能力や才能を伸ばす代わりに、外なる計画や仕組み(装置)を動員すること、場合によっては、その生来の能力をさえ、支配のための腐敗した動機で用いること、この現実世界をブルドーザーにかけ、あるいは人々の意志を無理に曲げようとすることです。仕掛け(マシン)とは、われわれの時代にあってより顕著な現代の姿ですが、普通思われているよりは、より密接に魔法に関係しているのです。(39ページ)
すべての物語は、究極的には堕落について語るのです(44ページ)
“力”という言葉は、神々について用いられる場合を除けば、どの話の中でも禍を秘めた不吉な言葉なのです(56ページ)
仕掛け(マシン)と魔法への言及は技術批判として読めるし、力についての議論は人間批判だ。これらはトールキンのカトリック信仰も踏まえて受け止めるべき言葉だろう。「すべての物語は、究極的には堕落について語るのです」や「“力”という言葉は、神々について用いられる場合を除けば、どの話の中でも禍を秘めた不吉な言葉なのです」は必ずしも賛成できないかもしれないけれど、軽々しく退けることもできない。