2023年2月6日月曜日

 晴れの月曜日。寝つきが悪かった。ただでさえさえないのにますますさえない頭で起きる。
 土井善晴さんは「ええ加減でええんです」とかおっしゃっているけれど、そういえば僕の日々の適当ミルクティーも、ほどほどの茶葉を目分量でポットに放り込み、蒸らし時間もその日の気分で適当に、最後に牛乳の量で帳尻を合わせるという具合なので「ええ加減でええんです」の趣味の紅茶である。これができるようになるには「この茶葉はどの程度まで適当に扱っても大丈夫か」言い換えると「どこまで乱暴に扱ったらおいしくなくなるか」を何となく把握する必要がある。それにはやっぱりある程度の経験は求められるので、「ええ加減でええんです」に到達するまでにも少し時間がかかるのだな。
 職場の自由にお飲みくださいコーナーにあった「Blendy stickココア・オレ」の最後の1本に「何があっても、ボクがほめてあげるっ」と書いてある。「Blendy stickココア・オレ」はそんなメンタルギリギリの人のためのものなのか、別に本当にほめてくれるわけでもないのによくいけしゃあしゃあとそんなこと印刷するよなとか性格の悪いことを考えつつお湯を注いで飲む。でも甘ったるくてちょうどいいから何が書いてあってもOK。これで「ココア・オレ」は終わり。残っているBlendy stickはカロリーハーフのカフェ・オレだけ。
 塚谷裕一『漱石の白百合、三島の松』に1900年代の日本文学を踏まえて「インテリ女性を描くのに、植物学(華道ではなく)は当時もっとも好適だったといえる。・・・(中略)・・・当時の植物学は現在だったら宇宙物理か遺伝子工学か、情報科学か、まあそういったところだろう」とある。当時は植物学が最先端の学問としてもてはやされていたらしい。九鬼周造に中学生の頃に植物学者になろうかと考えたことがあったという逸話があってこれは彼の植物好きエピソードとされているのだけれど、むしろ彼が若いころから最先端の研究に関心があったことを伝えるものなのかもしれない。もっとも、彼は大人になってからも植物採集をしているから、本当に植物は好きだったのだろうけど。
 自分は男性に対して格好いいと思う感性が発達していないので「○○さんは格好いい」と人が判断しているのを聞くと「格好いい」概念が整備されるので勉強になる。格好いい文章という判断は今の自分にもあるんだけど、男性に対する格好いいはどうもまだよくわからない。
 御祝儀袋を買いに昨日とは別の本屋に行く。洋風のおしゃれなものにする。ついでにエリザベス・ストラウト『オリーヴ・キタリッジの生活』と目に留まった高山羽根子首里の馬』も買ってしまう。家に帰ったら高野文子の漫画2冊と『百合小説コレクションwiz』が届いていてお前こんなにいつ読むねん状態に拍車がかかった。こんだけ買ったけど、今小説で読んでいるのは2年前に買ったきりほったらかしていた『暗い世界 ウェールズ短編集』だから何がなんだかよくわからない。ウェールズ短編集はとても面白いからいいんだけど。
 我が家のサクラもきれいなのでムーミンパパ(のぬいぐるみ)に参加していただきお花見をするムーミンパパの写真を撮る。家にサクラがあると面白い。サクラの花の下に寝転がって見上げられる。